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ヘンリー8世の妻たちの名前や結婚の順番は、おぼえ歌や記憶に残りやすい文章などを使って覚えましょう。ヘンリー8世は外交、宗教、芸術の分野で多くの功績を上げたイングランドの国王です。しかし後世の人々には、その生涯で6人もの女性を妻にした王として記憶されることになりました。6人もの王妃の名前と結婚した順番を覚えるのは一苦労ですが、テスト勉強のために覚えなくてはいけない、あるいは重要な史実を教養として覚えておきたいという場合には、英語圏で使われてきた記憶法でいっぺんに覚えてしまいましょう。これらの方法を使えば、王妃たちの名前を短時間で記憶でき、長期間覚えていられるはずです!
ステップ
方法 1
方法 1 の 3:
韻を踏んで覚える
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1王妃たちの運命を物語る言葉で韻を踏む 「Divorced, beheaded, died; Divorced, beheaded, survived.(離婚、斬首、死亡、離婚、斬首、生き残り)」というおぼえ歌で覚えましょう。このシンプルなおぼえ歌は、イギリスの小学校での暗記学習にも使われています。[1]
- このおぼえ歌の内容自体は、厳密に言うと間違っています。最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンと4番目の妻アン・オブ・クレーブスについては、法的には「Divorced(離婚)」ではなく、婚姻自体を無効としました。そして、最後の妻キャサリン・パーだけでなく、アン・オブ・クレーブスも、ヘンリー8世より長生きしたという意味では「survived(生き残り)」と言えるでしょう。
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2「wedded(婚姻)」と「beheaded(斬首)」で韻を踏む 「King Henry VIII, to six wives he was wedded. One died, one survived, two divorced, two beheaded.(ヘンリー8世は6人の妻と結婚した、1人は死に、1人は生き残り、2人は離婚し、2人は斬首された。)」こちらのおぼえ歌も、王妃たちの運命を元に作られたものです。[2]
- こちらの場合も離婚というのは史実と異なるため、本来は「divorced(離婚した)」ではなく「annulled(無効にした)」としたほうが正確です。このおぼえ歌では王妃になった順番まではわかりませんが、キャッチーで覚えやすいのはよい点と言えるでしょう。
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3ファーストネームで韻を踏む 「Kate and Anne and Jane, and Anne and Kate (again, again!)(ケイトとアンとジェーン、アンとケイトの繰り返し!)」[3] このおぼえ歌では英語のアクセントをうまく生かし、Jane と again が韻を踏む形になっています。最後の「again, again(繰り返し)」は、王妃のリストの最後に「Kates」が2つ続くことを示します。5番目の妻キャサリン・ハワードに、最後の妻キャサリン・パーと、キャサリン(Kates)が2人続いていると覚えましょう。広告
方法 2
方法 2 の 3:
頭文字と名前で覚える
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1ラストネームの頭文字で覚える 最も有名なのが「All Boys Should Come Home Please.(男の子はみんな家に帰ってきてね。)」という一文です。この一文を暗記すれば、アラゴン(A)・ブーリン(B)・シーモア(S)・クレーブス(C)・ハワード(H)・パー(P)と、単語の頭文字から6人の王妃の順番と名前を覚えられます。
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2頭文字と史実の合わせ技で覚える 「A Big Secret Concealing Her Past.(彼女の過去には大きな秘密が隠されている。)」という一文を覚えましょう。こちらもラストネームの頭文字をもじっていますが、王妃たちの人生やその死に関連した内容のため、より覚えやすくなっています。宮廷内で出世して王に近づこうと画策した2番目の妻アン・ブーリンや、彼女のいとこで、王に隠れて別の男性と不倫関係を続けていた5番目の妻キャサリン・ハワードの人生を思い起こさせる一文です。
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3王妃たちの名前に似たフレーズで覚える こちらはあまり使われていませんが、覚えやすい方法の一つです。「Arrogant Anne Seemed More Clever at How to Catch the Ring.(傲慢なアンは、より賢い手段で結婚指輪を手にしたようだ。)」という一文を覚えましょう。Arrogant(アラゴント)はアラゴンに音が似ています。Anne(アン)はもちろんアン・ブーリンのことです。同様にSeemed More(シームドモア)はシーモア、Clever(クレバー)はクレーブス、How to(ハウトゥー)はハワード、そしてCatch(キャッチ)はキャサリン・パーに音が似ています。さらに、文章自体が史実に添った内容であるというのもポイントです。実際に2番目の妻アン・ブーリンは傲慢な女性で、Catch the Ring(結婚指輪を手にする)、つまり結婚し王妃となることに執着していました。広告
方法 3
方法 3 の 3:
6人の王妃を知る
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1それぞれの王妃について学ぶ 6人の王妃たちの人生について少しでも知ると、ヘンリー8世と結婚した順番や彼女たちの辿った運命が頭の中で結びつき、記憶に残りやすくなります。またその人生を学ぶことで、単なる名前の羅列ではなく、実在した一人の女性としての彼女たちをイメージできるようになるでしょう。
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2最初の妻キャサリン・オブ・アラゴン 彼女は元々、ヘンリー8世の兄アーサーと結婚するためにスペインからイングランドへやってきました。[4] しかし、アーサーはすぐに亡くなってしまい、1509年に弟のヘンリー8世と結婚します。
- 彼女とヘンリー8世の間には女児が一人誕生しています。この娘が「ブラッディ・メアリ」としても知られる、のちのメアリー1世です。
- 2人の結婚は1509年から1533年まで続き、ヘンリー8世にとって最初の結婚であると同時に、最も長く続いた結婚でもありました。
- どうしても世継ぎとなる息子が欲しかったヘンリー8世は、新たな妃を迎えようとします。そこで、キャサリンが兄アーサーと結婚していたことを理由に、自分との結婚を無効とするよう教会に求めました。しかしローマ教皇がこれを拒否したため、ヘンリー8世はカトリック教会と決別。新たに設立したイングランド国教会のトップであると宣言し、新たな宗派のルールを基に婚姻を無効とする手続きを行いました。
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32番目の妻アン・ブーリン ヘンリー8世は、アンが最初の妻キャサリンの侍女として仕えていたころから彼女と関係を持っており、1533年に結婚したときアンはすでに妊娠していました。[5]
- アン・ブーリンとヘンリー8世の間に誕生したのも女児1人だけでした。このもう1人の娘こそが、のちにあの有名なエリザベス1世となります。
- エリザベスの出産後、アンは何度か流産してしまいます。ヘンリー8世は男児を産めない妻をまたも見限り、他の男と浮気をしていたとしてアンを訴えました。
- このため彼女は1536年に姦通罪で斬首されています。
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43番目の妻ジェーン・シーモア ヘンリー8世待望の男児を出産した彼女は、アン・ブーリンと同じように、王妃の侍女の中から王に見初められた女性でした。[6]
- 1537年に彼女が出産したエドワードは若くして亡くなりますが、死の前の短い期間だけエドワード6世として在位しました。
- ジェーン・シーモアは出産の後、わずか数日で亡くなり、ヘンリー8世はその死を嘆いたと言われています。
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54番目の妻アン・オブ・クレーブス 1540年に、政略結婚のためドイツからやってきた彼女でしたが、ヘンリー8世の好みのタイプではなかったようです。同時期に外交の情勢も変化したことで、この結婚のメリットも無くなってしまいます。[7]
- アン・オブ・クレーブスは結婚を無効とすることにすんなり同意しました。彼女はヘンリー8世より10年も長く生き、1557年に自身の城で亡くなっています。
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65番目の妻キャサリン・ハワード もう1人の悲劇の侍女となった彼女は、1540年に19歳の若さで王妃となりました。ヘンリー8世の4番目の結婚が無効となったその数日後に、2人は結婚しています。[8]
- キャサリン・ハワードは2番目の妻アン・ブーリンのいとこで、奇しくもアンと同じ運命を辿ることになりました。彼女の場合は、ヘンリー8世の廷臣だったトマス・カルペパーとの浮気が発覚し、1542年に姦通罪で斬首されています。
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7最後の妻キャサリン・パー ヘンリー8世より長生きした2人の王妃のうちの1人です。2人が結婚したのは、ヘンリー8世が亡くなる4年前の1543年でした。[9]
- 学識があり信仰心も篤かったキャサリン・パーは、宗教改革を推進しようとしました。
- 彼女は、女性として初めて自身の名前で本を出版した人物であり、これはイングランドの王妃としても史上初めてのことでした。ヘンリー8世の死後にも、新たに本を出版しています。
- 彼女はヘンリー8世の死後、エドワード6世の叔父にあたる、トマス・シーモア卿と再婚しました。
- 一人娘を出産した5日後の1548年9月5日にキャサリンは亡くなります。生まれた娘は、王室の義理の姉にちなんで、レディ・メアリーと命名されました。
- スードリー城にある、精巧な彫像が目印の彼女の墓は、ヘンリーの妻たちの墓の中でも最も豪華な墓として知られています。
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出典
- ↑ http://www.historic-uk.com/HistoryUK/HistoryofEngland/Henry-VIII/
- ↑ http://www.nytimes.com/2003/07/16/arts/television-review-getting-to-know-henry-viii-s-women.html
- ↑ http://www.eudesign.com/mnems/henry8.htm
- ↑ http://www.bbc.co.uk/history/people/catherine_of_aragon/
- ↑ http://www.bbc.co.uk/history/people/anne_boleyn/
- ↑ http://www.pbs.org/wnet/sixwives/meet/js_handbook_children.html
- ↑ http://www.history.co.uk/biographies/anne-of-cleves
- ↑ http://www.history.co.uk/biographies/catherine-howard
- ↑ http://www.pbs.org/wnet/sixwives/meet/cp_handbook_main.html
このwikiHow記事について
他言語版
English:Remember Henry VIII's Wives
Français:se souvenir des femmes d'Henry VIII
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